城崎出身の日本画家さんです。

今日はエンゲージメントの撮影(ブライダルを控えたカップルの普段着の撮影です。)でした。

台風が心配される中、緑が綺麗な円山川公苑(またの名をCSR)に行ってました。

20161005111710img_9934夏はプール、冬はスケート場、カヌー、大きな芝生広場、美術館があります。県の施設で、利用料はとても安いです。芝生広場は自由に入れます。

 

天候や光の具合を見ながら撮影スポットの下見でウロウロしていると。

今週末から円山川公苑美術館で始まる「山田毅展」の準備が始まっていました。

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城崎温泉の旅館「つちや」さんのご子息で、現在は京都で日本画を描いておられます。

つちや旅館の後継の若旦那さんが私に気づいてくださり、

「井垣さん!どうぞどうぞ!」

と準備しているところを見せてくださいました。

20161005105459img_9920-2向こう側の白いTシャツの方が、山田画伯です!手前は、額装をされた今森さん。ちゃんと撮らせて貰えばよかった…。

今森さんは、これまた城崎出身の方。

うちのご近所さんの息子さんです。京都で額装のお仕事をされてるそうです。

京都で、城崎の人同士が一緒にお仕事しているなんて、なんかすごいなぁ。

 

20161005105255img_9915-2壁一枚分くらいある大きな作品。分割して運搬し、組み立ててから吊り下げるそうです。

20161005105343img_9917裏には、こんな風に注意書きも。絵画展の準備なんて初めて見たので、なんでも珍しい。

この大きな絵が壁に吊られているところをぜひとも見に行かないと。

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じっと見ていると、妄想の世界に入って脳の中で旅に出かけてしまいます。

先が見たくて、いつまでも絵の前に立っていたい気持ちになりました。

絵の中に取り込まれそうになるほど、迫力のある作品ばかりでした。

個展のタイトルは、「城崎への想い」。

ぐっときます。

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今週の土曜日から始まります。

雲海、円山川、竹田城、秋祭り…。

子供にも見せたいです。

芝生広場で遊びがてらでも、ぜひ見に行ってみてください。

 

山田画伯から、何点か作品の撮影を依頼していただいてます。

そんなお仕事もしています。

撮影のことならなんでもお気軽にご相談くださいね♪

イガキフォトスタジオ 0796-32-4151

 

城崎出身の日本画家さんです。” への1件のフィードバック

  1. 始めまして、ご挨拶させて頂きます。山田毅画伯からは、最近、封書を頂戴致しております。

    おめでとうございます。兄・晉一郎からは、生前「山田画伯」のことを、非常に称賛していましたこを覚えております。

    ところで、テレビで「豊岡市(実は城崎温泉)」の俯瞰写真がたびたび出てきますが、あの位置からの俯瞰写真を最初に撮影したのは、実のところ私が世界で一番最初であったのです。兵庫県か、但馬地区でしたか、カメラコンテスト(フォト゚コンテスト)が催され、応募に挑戦した次第であります。

    まだ、薬師寺ロープウエイが通ずるまでは、春・夏・秋・冬と、四季を通じて、足で、「薬師寺 ⇒ 温泉寺多宝塔脇道登坂 ⇒ 大師堂 ⇒ 来日山を仰ぐ  ⇒  愛宕山(?)で俯瞰 ⇒ うおや・ゆとうやの屋敷に下山・・・・・といったコースが、懐かしく思い出されます。

    冬には、長靴を履いて、深雪を踏み分けて、独りで登山し、撮影をしたものでした。

    当時は、第2次世界大戦が終わり、大師山から遠く眺める円山川、そして楽々浦、そこには旧海軍の上陸用舟艇が錆びたまま、長い間、放置されていた風景を思い出します。

    当時、山田画伯のお父上に当たるのでしょうか?    山田尭嗣氏(旧制豊岡中学48期・豊岡高校1期の大先輩)に導かれて、当時、城崎では珍しいカメラを肩にして、豊岡・城崎を中心にして撮影しまくっていた次第であります。

    いまは故人ですが、同期の森本徳之助氏(旧制豊岡中学51期・豊岡高校4期・料亭みどりの御曹司)と山田尭嗣先生と私が3人グループになって、確か、豊岡高校写真部の草分けとして活動した、と覚えております。

    まだまだ、いろいろと書かせて頂きたいのですが、私は85歳の高齢者でして、「毎日が日曜日」でありますが、毎日の雑事の処理に追いまくられておりまして、寝る時間も不規則、一日があっという間もなく過ぎ去ってゆきます。

    今日、10月6日(土)は大阪達徳会総会の日となっております。都島の太閤園へ参ります。神戸達徳会でも、大阪達徳会でも、昭和のシングル生まれの先輩、1933年生まれの同期、そして直ぐ下の後輩の姿が見かけられなくなって、いささか寂しい観がいたします。

    しかし、1933年生まれは、まだまだ、城崎で頑張っているようです。大渓川の上流から列挙してゆきますと、常盤の原実氏、沢田万平堂老主人、月本陽蔵氏、むつのやのご主人・松井尚一氏、城崎設備の樋口氏。

    月本陽蔵氏とは、毎週、一回くらいは、電話で肉声による交歓をしています。したがいまして、城崎のことは、ツーカーで通じています。城崎には、ナウい存在と自認しております。

    私の素性は、インターネトで「竹内準治」と検索して貰いますと、おぼろげながら浮上して参ります。

    また、インターネットで、「太田隼介氏  ⇒  老人の想い出話し」と検索して頂きますと、「北近畿豊岡で一泊」といった拙文(ブログ)、これまた浮上して参ります。

    もう老齢ですので、ブログは、昨年(2017年・平成29年、12月16日)で閉稿させていただいております。しかし、不思議なことに、その後も、この9か月間、そのブログをクリックして頂いている方が、若干増えているようです。活字離れ、図書離れの現世に、非常に珍しい現象のようであります。

    「北近畿豊岡で一泊」といったブログ原稿は、20回に分けて書かせて貰っています。しかし、多くの方は、毎日が、滅茶苦茶ご多忙なので、クリックして開披して、読まれるのは、時間が非常に勿体ないので、看過して頂きたくお願い申し上げます。

    これからは、「山田画伯の絵画」を中心にして、「城崎文学館」等々、城崎のすぐれた芸術的・文化的所産、歴史的拠点を広く深く学び、そして広く訴求して参りたいと思っております。

    振り返りますと、実家・つたやのお隣の三木やさん・志賀直哉先生・「暗夜行路』、「城崎にて」には、大きな影響を受けております。また。わが実家には「西山英雄先生」、「司馬遼太郎氏」がお泊りになっていて、それも大きな影響力であったと覚えております。

    また、西山英雄先生とは、わが高校時代に軽くでしたが、お話しを交わしたことを覚えています。

    長くなりまして申し訳ございませんでした。
    机に向かい、正座して、手紙を書かせて頂きますとすると、なかなかその時間が生み出せんものですから、SNSシステムを利用させて頂き、深夜(現在・10月6日の午前2時20分であります)に失礼させて頂いております。

    パソコンでサーフさせて頂いておりましたら、今森様、井垣様と、懐かしいお名前を拝見させて頂くことができ、懐かしく、先代の方々の面影を偲ばせて頂いております。有難うございました。

    また、今後に向けて、つたやの眷属も宜しくご厚誼のほどお願い申し上げます。

    では、これにて失礼させて頂きます。          平成30年10月5日午前2時30分・竹内準治であります。

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